「生と死」と、あらためて向き合った二週間でした
3.11 2:46 福岡県行橋市で講演中に黙祷
素晴らしい仕掛人と、故郷のような街とのご縁をいただき7年
講演終了後、急遽、とても大切な友人家族の通夜に参列しました
素敵な親族、地域の方、孫たちから物凄く愛され見守られ、
とても美しい仏様の顔でした
帰宅後、深夜連絡があり 義父が亡くなりました
10年以上の闘病生活
倒れて1ヶ月弱の間、意識不明の植物状態
峠と復活を繰り返していました
九大病院ICUに何度も家族を連れていきましたが子どもたちは面会できず、
別室に移動してから亡くなる数日前に
ようやく子どもたちは直接会うことができました
深夜遅い時間でしたが、5人とも、じっと見つめ、
人が死んでいく姿を受け入れていました
長男は近くでずっと無言で見つめたまま
次男は壊死で変貌した顔に近づき「じぃじ、来たよ」と声をかけ
義父からよく怒られていた三男トウゴは突然大泣きし、
「奇跡が起こったらいいのに・・・じぃじが死ぬくらいなら、
まだ怒られてたほうがいい、生き返ってほしい・・・」
通夜、葬儀では孫8人に見守られながら、何だか賑やかなお別れでした
最後のお別れの時に花をいっぱい
子どもたちが何度も何度もニコニコしながら入れる姿に、
人が亡くなるということは、不慮の事故で突然の事などもあるけど、
本来は旅立ちであり、楽しいことなんだなぁとしみじみ思ったこと。
それと同時に生きているということ、それがどんな事なのか、
深く考える時間でもあったこと。
妻と話しながら、全く同じ気持ちでした
生老病死、愛別離苦
「健康で幸せな人生を送ること」
すごくシンプルで、とっても大切なこと
「健康教育で 人々を幸せに」
深く深く根を張って たとえ小さくとも、
キラリと光る希望の会社でありたい
「どう死ぬか」
人間、皆、本来自分の命を守ろうとする本能が最も強い
でも、そこよりも優先する目的に到達しないと、
それは「志」ではないし、
武士ではない
良い悪い、正しい間違いなんかでなく
ただひたすらに 生命、魂を燃焼させるのみ
その感覚は、たぶん、両親にも社員にも理解されないかもしれない
命は大切
でも、なぜ大切か
私は何者か、
というidentityではなく
何が私なのか
色即是空
だからこそ、人として生きること、
これからやることがある
今朝も6時から、順番に子どもたちが起きてきて、
寝ぼけた我が子をいつものように一人ずつ抱きしめた
我が子であって我が子ではない
授かりものなんておこがましい
運良く預からせていただいているだけ
先日の長男の小学校卒業式につづき
今日は娘の保育園卒園式
今日も良き日です
Imagine no possessions I wonder if you can No need for greed or hunger A brotherhood of man Imagine all the people Sharing all the world You may say I'm a dreamer But I'm not the only one I hope someday you'll join us And the world will live as one
和の心で ひとつに
0コメント